きんたこブログ

オーディオとギターとコンピュータを愉しんでいます。

うつうつの日

お護摩のために新栄寺参りをする

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今日はクリニックに行く前に、成田山札幌別院新栄寺にお護摩に行きました。

私の信教は神道なので、仏教は勝手が全然わかりません。要所要所は妻に教わりながら拝んでまいりました。
願意に近い護摩木に氏名を記入して、係の方に渡しました。肝心の焚き上げは時間がないので参加できませんでした。

仏教でありながら「現世利益」を全面に打ち出すところは、私には衝撃的でありまして、神社でもしない「宝くじで大金を!」と意地汚いお願いをしてきたのち、メンタルクリニックに行きました。

うつ病は金で治るというのは半分本当だと思う。

毎朝、耐え難い頭痛と腰痛が目が覚める前から意識にのぼる。
多少の作業で疲労が膿のように脳髄に粘りつきながら蓄積する感覚でいっぱいになる。
頭痛で脳みそがビリビリと痺れるような浮遊感が常にあり、とっさに何かを思考することが非常に難しい。

好きなことしかしないのではなく、せめてできることが好きなことぐらいなのだ。
それでも嬉々として取り組めるわけではない。
月並みな言い方だが、同じ境遇でなければ分からないだろう。

こんな埃まみれの日々を送るのは、ただただ月給のためだけである。お金のために「生命」を犠牲にしている。

しかし、もし一億円があれば、

仕事から離れられる
ゆっくり休養できる
食事やエクササイズに時間を割ける

暇になり、苦痛が和らぎ、身体にエネルギーが充填したら、

退屈にもなるだろう。

退屈になれば再び生きがいを求めて「仕事」をするのではないだろうか?考えが甘いかな。少なくても私は再び生きがいを求めたい。

ただ大金を手にしたら、引きこもりになる危険性が多分にあることに注意が必要だ。机に座っていても、生きがいを感じる「仕事」が今の世の中にはあったりするからだ。

うつ病、寛解しないかなぁ。

レーザーディスク・プレーヤー起動不能!

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先日、レーザーディスク(!)をダビングしていたところ、冒頭で二度映像が飛んでしまいました。もう一台のパイオニアのレーザーディスク・プレーヤーで確認しようと思って電源を落としましたが、肝心のディスクを抜き忘れておりました。再び電源を入れると「パチン」と音を立てて起動不能に。
ソニーのMDP-A1という両面再生ができる優秀な機種でしたが、20年以上の酷使の末、とうとう故障してしまいました。

取説が手元になかったので、ネットで再起動の方策を調べましたが、有益な情報は見つかりません。スイッチを入れるとディスプレイが一瞬点灯するので、コンデンサーがダメになってしまったのでしょう。

仕方がないので、ネジを外してカバーを取り外しました。トレイを駆動させる大きなギアには損傷がないようです。小刻みにギアを動かしつつ、飲み込み口のカバーを引きずり落とすことで、無事にディスクは救出できました。

さてジャンク品になってしまったMDP-A1は、私が初めて購入したレーザーディスク・プレーヤーでした。
釧路に住んでいたときに、『快獣ブースカ』のレーザーディスクが発売されるというので、碌な調査もしないで近所のダイエーで取り敢えず購入したのです。

ところがこのプレーヤーにはソニータイマーが搭載されておらず、軽くて使い勝手が良いのでメインプレーヤーとして永年愛用しておりました。最近は流石にしまいこんでいたのですが、未DVD化のディスクをデジタル化しようと思い立ったらこのザマです。

もう一台のパイオニアのDVL-919は、画質は明らかに良いのですが筐体が大きいのでサブとして使用していました。ところが事情が変わりました。今度はこのDVL-919がメイン機で、どこかでサブ機を見つけなければなりません。

調べてみると、メンテナンスを施し駆動ベルトまで交換しているレーザーディスクが、比較的廉価でまだ売っているのですね。なんとか軍資金を調達して入手したいと思っています。

そこまでレーザーディスクにこだわる理由は、『ブースカ』だけではなく、『仮面の忍者赤影』や『ジャイアントロボ』などのセットがあるからなのです。東宝特撮映画群も大映の大魔神や妖怪物も眠っています。

CGだらけの新しい映画はもういいです。職人技に溢れた古典的な特撮映画をじっくりと愉しみたい。

SONY XPERIA SO-04H

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妻のSHARPのスマホの調子が悪いので、私の病院帰りにdocomoに立ち寄った。
店員さんとあれこれ話を煮詰めると、修理して使い続けるよりも包括的には安上がりになるというのでGalaxyの新製品を購入することになった。

私のXPERIAは3年以上使っているが、バッテリーの保ちが悪くなってきた以外は問題がない。ところが店員さんの診断によると、本体が微妙に膨らんで歪んでおり、発熱も通常以上であるらしい。
突然爆発炎上はないと思うが、危険が事前に判っている代物を敢えて携行するほど愚かではない。

ところがSONYの新製品には購入意欲が沸かず、妻が購入するGalaxyが一番魅力的であった。しかしROK製品を積極的に購入する気持ちが私にはない。さてどうしたものかと思案していると、補償制度を利用して同機種と交換するという手があると店員さんが言う。妻のスマホの下取りと累積しているポイントで代金はほぼかからないらしい。
一晩考えて、そのアイデアに乗った。

データの移植は楽な方法があるのだが、敢えて面倒な手段を行った。これを機にスマホの構造を理解しようと考えたのだ。

申込みをしたら二日ほどで家に届いた。恐ろしいまでの迅速さだ。

スマホにはまるっきり興味がなく、不調にさせると面倒なので、今まではほぼそのままで使っていた。今回は同じものが二台あるので実験し放題である。「ファイルマネージャー+」を使って、削除しても大丈夫なフォルダや具合の悪いファイルを検証しながら分析してみた。

なるほど、これは既にゴミでしかない画像データだの、SDカードに移しても読み込めないログデータだのと知識的な実りは多かった。
メールはサーバーに残しっぱなしの設定なので、簡単に復元できた。FacebookやInstagramはおろかLINEすらしていないので連絡帳の移植も簡単だった。

写真のデータはMicroSDカードに保存するようにしてある。アダプターをつけてコンピュータに一時退避させた。

積極的な対策を講じたことで、以前と同じような使い勝手でありながらもメインストレージはかなりスリムになった。

スリムになったおかげで、YahooやGoogleなどのクラウドデータを全てダウンロードすることができた。クラウドの跡地はきれいさっぱりとデータ消去した。

MicroSDも64GBから128GBに倍増させた。これで新たな気持ちで快適なガジェットライフが楽しめると思ったが、酒を飲みながら作業をしていたのが悪かった。

取り返しのつかない下手を打ってしまったのだ。

精神科医とスピリチュアル

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先日、定期的に通院している心療内科のドクターが急逝されたと電話連絡が来た。
大動脈解離とのことだ。

5年もの永きあいだ診察していただいた。症状が良好なときは月に一回だったが、この一年は特に酷かったので二週間に一回であった。一回の時間が10分程度であれ、月に二回、顔を合わせて近況を話していた人が亡くなったことに強烈なショックを受けている。

ドクターは症状の経過を実に良く覚えていて、薬の選択も適切であった。病状を戦況に見立てて、薬による「戦略」を打って出ている感じがしたものだ。ベネフィットがない新しい薬も積極的に処方する一方、漢方薬も出してくれた。これが実に効果的で、10年以上も苦しんでいた梅核気が寛解した。

アタマもカラダも全然動かせなくなったときは離職を真剣に考えた。職場は3ヶ月以上の休職にさせて代替の人員確保を画策したようだが、ドクターのおかげで2ヶ月で職場復帰できた。ドクターの「戦略」が適切だったのだ。

いつも笑顔で包容力の溢れる人柄だったが、診察室から激昂した声を待合室で聞くこともあった。患者さんに阿ることなく、自身の診療方針を毅然と貫く人だった。

ドクターはスピリチュアルに関心が強く、クリニックにはその手合のグッズがところどころに鎮座していた。私も妻もそちらの関心が高いので、抵抗感はまるでなかった。

ネットでの評判は今ひとつであったが、医学者然としていないドクターと「氣」の合わない人が腹立ち紛れに書いたものだと思っている。おそらく即効性を求めて来院した患者さんは、ドクターのクスリだけに頼らない診療が気に入らなかったのだろう

精神は突然病むものではない。永い時間蝕まれて発症するものだ。寛解するためには同じくらい永い時間が必須である。しかも欠損したマイナスの状態をゼロにするには、実り豊かなプラスの充足感が必要だ。

ドクターはプラスの時間をどれだけ過ごせたかを毎回訊いてきた。患者さんが気がつかないように、こっそり邪気祓いの柏手や氣の注入を行っていた。

私はプラスの時間が未だ足りないようで、これからも精神科に通う必要がある。「もう定期的に来る必要はないよ」とドクターから言われたかった。

「大動脈解離で即死だったのは良かったのかもしれない。別の病気でだんだん痩せ細って、元気が無くなっていく先生を見るのは、それはそれでとても辛いと思う。いつも元気だった先生は幸せだっただろうし、みんなの心の中にも元気なままで生き続けているに違いない」と、大動脈解離から奇跡の生還をした妻が言っていた。

私もそう思うようにしている。
吉田先生、今までありがとうございました。何度も救われました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。



mcIntosh MA6900 重症なのか?

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McIntosh MA6900 の修理およびメンテナンスをお願いしているヴィンテージオーディオ堂さんから先日メールがきました。

不具合があるのですが発送時はいかがでしたか?といった趣旨のメールです。

私としては切れてしまったブルーアイズをLEDにして、ハンダ割れなどがあれば足してもらう程度の認識でしたので、青天の霹靂のような宣告に、ただただ驚いて心が騒ぐばかりです。

修理費は十分に用意しましたが、アンプ修理が終わったら Wadia のメンテナンスと音質改善とを依頼する予定でした。予算を大きくオーバーすれば、Wadia は今回諦めるしかありません。

今は只ひたすらに重症でないことを祈るばかりです。

お金を貯めるのは難しい

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ヤフオクとメルカリにちまちまと出品しては、お小遣い以上の金銭を手に入れている。
しかし出費も嵩むので、思ったような蓄えができない。

遣わなければ良いだけなのだが、「儲けた」お金が全て自分の「モノ」にならないことがやはり大きい。

例えば、この冬、うちの玄関は自動点灯式のLEDに交換した。夜遅くに帰ったとき「鍵を解錠してドアを開けたら、自動で点灯してくれたらイイなぁ」といった私の願望を実現させるためだ。もちろん、そのことで妻も便利に思ってはいるが経済的援助はない。

洗面所および洗濯機コーナーもLEDで明るくしたが、私持ちである。
妻曰く「家の改善は家主の責任」とのことだ。

買い物に出かけたときのちょい足しのモノは出してもらっているので、あまりお金の細かいことを言えないでいる。

ボーナスのときに臨時のお小遣いを特別支給されているお父さんは多いようだが、私は一銭も貰っていない。妻曰く「満額支給されてないのだからあげられない」のである。

さらに私も妻もそしてイヌも病院通いをしている。一回行けば小一万円かかる現状を分かっているので、無粋にお金を無心できない。

職場でも、自腹を切って文具を購入している。官給品の文具は安物で使いにくいからだ。使い勝手の悪い文具でつまらないストレスを感じたくない。事務仕事はサクサク行いたい。

私の趣味の支出も大きな原因だ。

最近はコンピュータ(ソフト)の解説本や買えなかったCD、そして「ねんどろいど」の支出が多かった。今までどおりに我慢すればいいのだが、やはりあれば遣いたい。

「ねんどろいど」は以前から興味があったが、高いので我慢していた。値崩れしたのかメルカリで廉価で入手することが最近分かり、何体かを購入した。結果、とても満足している。

人間、物欲がなくなったらいよいよ危ない。

性欲は枯れて、食欲は美味しくて腹が膨れれば何でも良くなった。承認欲求は疾うの昔に失っており(褒められたいから一所懸命に仕事するのではなく、自分が納得したいから完璧に行なう。実際いくら丁寧であっても褒められない)、青年時の志はすっかり消えてしまった。
今はただ、妻とイヌの生活と家のローンの返済のために仕事をしている。

しかしこれはマズい。労働のモチベーションが余りにも無味乾燥だ。そこで「家の奴隷」にならないためにも、自分の趣味(ギター関連)にもわざとローンを組んでいる。
 
こうした事情から30年以上続けていた怪獣コレクターは廃業し、ネットの力を借りて換金している。

アンプの修理費は確保できそうだが、CDプレーヤーのメンテナンス費に難儀している。

100体以上あったアイテムも底が尽きそうだ。今月の支出に命運がかかっている。なんとかして支出を抑えなくては…。

郊外へ / 堀江敏幸

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性格が元来前向きとは言えない。ネガティブとまではいかないが、ポジティブさに欠いているところは多い。

だからこそ、太宰治を読み耽ったのは当然だったのかもしれない。所謂大人の小説で最初に嵌った作家だった。きっかけは、石坂浩二が太宰を演じていたテレビドラマだった。勿論中学生ごときの読解力で太宰の真髄をむしゃぶり尽くすことはできない。しかし麻薬的な快感に痺れてしまい、文庫本を次々と買い漁った。

中学生の時の思想的支柱は筒井康隆だった。常識を疑い、本質を捉える努力をしないでモノゴトの表層でこと済ますことの浅はかさを嘲笑う筒井の姿勢は今でも強く内在している。高校生の時には、この考えに安部公房の、当たり前の日常を安易に受け入れることの危うさの感覚が更に加わる(できたらカフカを読むためにドイツ文学科に行きたのかったのだが、行けなくて正解だった)。

大学生からは丸山健二だった。自分の力では獲得できなくなった生きている実感を、他人の劇的な行動によって感動の同期を期待するものの結局は失敗に終わり、自分の生は自分自身でしか充実させることができないといった「ワンパターン」の思想に溺れた。

それ以降、飯のタネとして「文学」を読む年月が永らく過ぎた。
そこでの読み方は決して「文学」ではなく、「小説的」文章の読解でしかなかった。

文学研究を齧ったものならば当たり前のことを、簡便に「法則化」として書かれている書籍を買い集め、自分の「読解力」の自信を深めていた日々を思い出すほど苦々しい。
そんなことで「文学」部出身でございと低い鼻を高く見せていた。

テクストに書かれていることが全てであるといった金科玉条に縛られて、「何が書かれているか」かが重大な関心事だった。
ようやく「どう表現されているか」に目を向けるようになったのは、堀江敏幸の登場以降である。

そのくらい堀江の文章の衝撃は凄まじかった。それまでなんの気もなくただ好きで読んでいた吉行淳之介や小島信夫、庄野潤三といった第三の新人の新鮮さを今更になって気づいたくらいだった。

残念ながら現在の日本の小説家でノーベル文学賞に値するのは村上春樹ではない。
(同じように、大江健三郎のノーベル文学賞も怪しい。三島由紀夫はどうかと思うが、安部公房の受賞に異論を挟む人はいないだろう。しかし大江の作品に世界的かつ普遍的価値を見いだせる読書人はどれだけ存在するのか。大江の作品は内容・表現ともに日本の文学の到達点として相応しいとはぼくは全然思っていない。…初期の作品群は実に好みだった。全集も繰り返し読んでいる…と、いっても世界的文学賞には値しないが。

閑話休題

悲しいかな、北海道の街は懐が深いのでいつでもぼくを受け入れてくれるのだが、ぼくが「異邦人」感覚を捨てきれない。東京とはもう決別したはずなのに、札幌に居住する期間のほうが永いのに、故郷意識をもつことが未だにできない。4年間しかいなかった釧路には深い郷愁を感じているのに。

標準語のような東京弁と北海道弁のピジン語を話すぼくは、日本人であること・日本語を使うこと以外、これといったアイデンティティを持つことができずに漂うとなく生きている。「何をして生きるか」に自縄され、「どう生きるか」の境地には辿り着けていない。

第70回さっぽろ雪まつり

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メンタルクリニックに定期通院の日。昨年度半ばから激動の日常生活を送っているが、脳みそを極力使わないのでなんとか生きている。しかし、このクリニックで処方してくれる薬をきちんと服用することが前提。時間や量が乱れると、途端に体調が崩れて寝たきりになってしまう。快復には数日が必要。

クリニックは札幌の大通公園に面している。この大通公園で開催されている「雪まつり」に一人ではあるが軽く見物に行った。

なんだか出店を含めて物販のプレハブばかりが立ち並んでいる。去年もこんなものだったか?まるで北海道の食がテーマのオータムフェスタのようだ。空腹を刺激するあたたかい薫りが氷点下の空気に漂う。
雪像もアニメ(?)のキャラクターが多い。以前はもっと手の込んだ雪の建築物が多かった印象がある。

時間がないので、さぁーっと足早にひと回り、要所要所でスマホ撮り。我乍ら、咄嗟のスマホ撮りが上手くなったものだ。習うより慣れろとはまさにこのこと。

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雪ミクのコーナーは長蛇の列。昔、並ばないで入れたのは時間帯のおかげだったか。興味があったが、時間がないし並ぶのも嫌いなのでパス。

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何時ものように「北方領土返還要求」に記名して、大通公園をあとにした。「雪まつり」は、一人でサッサと眺めるだけではつまらない。感想を述べ合ったり、出店の珍しい食べ物をシェアする連れが必要だ。

そういえば、今年はまだ雪ミク電車を見ていない。これには一人だけでも乗ってみたい。オタッキーな札幌市民として、未経験では戴けない。
自動車で帰る途中の国道で、薄紅鮮やかなミクの痛車が隣の車線を走り抜けた。ナンバーまでは確認できなかったが、その熱心さに羨望する。

帰宅途中に妻の入院する病院に立ち寄る。具合悪そうに寝ていた。まだ熱が38℃と高いそうだ。必要なものだけ渡して立ち去る。明日は少し話ができればと願う。

コタロウがんばれ

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妻と一緒になるとき、お互いに「連子」がいました。私にはゴールデンレトリバーのナナ、妻にはパピヨンのフーちゃんとチワワのコタロウ。

ナナとフーちゃんが虹の橋を渡ってしまい、その寂しさを埋めるかのようにダックスフンド、ペキニーズ、ポメラニアンが家にやってきました。

コタロウは今年で15歳の最古参の老犬です。寂しがり屋の甘えん坊のくせに構われ嫌いで、みんなのいるところで寝てばかり。若いときは闘士だったので威厳を感じさせるのでしょう。場の雰囲気が読めなかったぶすけ君以外とは争いごとはありませんでした。

 年も押し迫った頃、ぶすけ君が虹の橋を突然渡ってしまってから、コタロウに変化が現れました。張り合いがいなくなったせいか、急激に元気がなくなってしまったのです。

心配してペットクリニックに連れて行くと、腎臓がかなり弱っていて、年を越すのも危ぶまれるとの診断がでました。それから毎日のように点滴を打ちにいったおかげで年を跨げましたが、次いで妻が大動脈解離A型で入院してしまいました。私だけでは妻とワンコと家事と仕事に配慮することができないので、コタロウは好意に甘えてペットクリニックに預かってもらいました。

しかしそもそもが高齢なので、やがて膵炎も起こしてしまいました。せめて妻が退院するまでは頑張ってほしいと願っています。

随分と昔のことです。

ナナは普段からノーリードだった(仔犬のときから訓練をみっちりしました)ので、庭先だからと仔犬だったこたろうをリードを付けずに家から出したことがありました。これが甘かった。

コタロウは私との距離を測りながら先へ先へと敷地から走って行ってしまいました。かといって、私が後退りしても戻ってきませんでした。
休日のとても早い時刻でしたが、家の近くには国道が走っていて、トラックが恐ろしいスピードで駆け抜けていきます。

うっかりサンダルなんぞを履いていた私は、国道沿いの坂道の途中で転倒して、掌の皮をベロリと剥いてしまいました。四苦八苦、私は血だらけになりましたが、やっとのことでコタロウを捕獲して事なきを得ました。爾来、コタロウにはかならずリードが繋がれることとなりました。

ワンコは成犬になると、あまり外見が変わらない(全体的に白っぽくなりますが)ので、改めて年齢を数えると愕然とします。

老犬コタロウは、もう私を転倒させることはできません。
部屋の中を元気に走り回っているペキニーズやポメラニアンも、私の定年時には老犬です。

光陰矢の如し。
今この一瞬を愉しむことが生きることの意味なのだと、今更ながらに時間を無為に過ごすことや、「お楽しみ」を後回しすることの愚かしさに焦燥感を覚えます。

うつ病は残酷です。

THRU TRAFFIC / 東北新幹線

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土曜日は、鬱が酷かったがメンタルクリニックに通院する日だった。割れるように痛む頭を抱えて、奥さんの運転する自動車でなんとかクリニックに辿り着いた。

いつものように2週間の症状を話すも、話がどうにも纏まりにくい。脳みそが働いていない証拠だ。

結論は、ロキソニンでは腰痛は治まるものの頭痛には効果がないことから、抗てんかん薬を飲むことになった。
この日、札幌は凍えていた。身体が冷え切ったのであろう、家に帰ると風邪のだるさをなんとなく覚えたので慌てて風邪薬も飲んで布団に潜った。

果たして薬が効いたのか、翌日はいくぶん楽になった。この連休中に片付けたいことが二つ三つある。窓の外は晴れ渡る青空と昨晩積もった白雪で、部屋の中が眩しいくらいに明るい。そんななかで作業をしながら聴いたCDは、東北新幹線の「THRU TRAFFIC 」。

このCDは隠れ名盤と誉れ高いものだ。メロディ・アレンジ・サウンド、そして歌声にプレイと、どこを切り取っても爽やかさで満ちている。難を言えば、あまりにも爽やかで喉越しが良すぎるところだ。口中に広がる甘味や苦味がなく、そのためキャッチーな中毒性はない。

しかしそこがいい。鉛色が払拭されて久しぶりに澄み渡った青空に、完璧なほど似つかわしい。
グラスの重さと薄さとのバランスと、グラスとの冷え具合が調和した冷たい水を飲み干すときの快感に近いものがある。
雑味のないことの旨さは確かに存在する。

このCDをかけると、次に聞くCDの選択に困る。
どれもが自己主張が強く、若しくは楽器が鳴っているだけだったりする。

悩むぐらいならとリプレイしてしまう。
これも中毒性の一つなのかもしれない。
livedoor プロフィール

きんたこ

オーディオ・ギター・音楽が大好きな、文学崩れの鬱々おじさんです。毎朝、ひふみ祝詞を奏上して、納豆・バナナ・ヨーグルト・リンゴ黒酢とレモン黒酢を義務感の如く食しています。

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