うつうつの日

お金を貯めるのは難しい

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ヤフオクとメルカリにちまちまと出品しては、お小遣い以上の金銭を手に入れている。
しかし出費も嵩むので、思ったような蓄えができない。

遣わなければ良いだけなのだが、「儲けた」お金が全て自分の「モノ」にならないことがやはり大きい。

例えば、この冬、うちの玄関は自動点灯式のLEDに交換した。夜遅くに帰ったとき「鍵を解錠してドアを開けたら、自動で点灯してくれたらイイなぁ」といった私の願望を実現させるためだ。もちろん、そのことで妻も便利に思ってはいるが経済的援助はない。

洗面所および洗濯機コーナーもLEDで明るくしたが、私持ちである。
妻曰く「家の改善は家主の責任」とのことだ。

買い物に出かけたときのちょい足しのモノは出してもらっているので、あまりお金の細かいことを言えないでいる。

ボーナスのときに臨時のお小遣いを特別支給されているお父さんは多いようだが、私は一銭も貰っていない。妻曰く「満額支給されてないのだからあげられない」のである。

さらに私も妻もそしてイヌも病院通いをしている。一回行けば小一万円かかる現状を分かっているので、無粋にお金を無心できない。

職場でも、自腹を切って文具を購入している。官給品の文具は安物で使いにくいからだ。使い勝手の悪い文具でつまらないストレスを感じたくない。事務仕事はサクサク行いたい。

私の趣味の支出も大きな原因だ。

最近はコンピュータ(ソフト)の解説本や買えなかったCD、そして「ねんどろいど」の支出が多かった。今までどおりに我慢すればいいのだが、やはりあれば遣いたい。

「ねんどろいど」は以前から興味があったが、高いので我慢していた。値崩れしたのかメルカリで廉価で入手することが最近分かり、何体かを購入した。結果、とても満足している。

人間、物欲がなくなったらいよいよ危ない。

性欲は枯れて、食欲は美味しくて腹が膨れれば何でも良くなった。承認欲求は疾うの昔に失っており(褒められたいから一所懸命に仕事するのではなく、自分が納得したいから完璧に行なう。実際いくら丁寧であっても褒められない)、青年時の志はすっかり消えてしまった。
今はただ、妻とイヌの生活と家のローンの返済のために仕事をしている。

しかしこれはマズい。労働のモチベーションが余りにも無味乾燥だ。そこで「家の奴隷」にならないためにも、自分の趣味(ギター関連)にもわざとローンを組んでいる。
 
こうした事情から30年以上続けていた怪獣コレクターは廃業し、ネットの力を借りて換金している。

アンプの修理費は確保できそうだが、CDプレーヤーのメンテナンス費に難儀している。

100体以上あったアイテムも底が尽きそうだ。今月の支出に命運がかかっている。なんとかして支出を抑えなくては…。

郊外へ / 堀江敏幸

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性格が元来前向きとは言えない。ネガティブとまではいかないが、ポジティブさに欠いているところは多い。

だからこそ、太宰治を読み耽ったのは当然だったのかもしれない。所謂大人の小説で最初に嵌った作家だった。きっかけは、石坂浩二が太宰を演じていたテレビドラマだった。勿論中学生ごときの読解力で太宰の真髄をむしゃぶり尽くすことはできない。しかし麻薬的な快感に痺れてしまい、文庫本を次々と買い漁った。

中学生の時の思想的支柱は筒井康隆だった。常識を疑い、本質を捉える努力をしないでモノゴトの表層でこと済ますことの浅はかさを嘲笑う筒井の姿勢は今でも強く内在している。高校生の時には、この考えに安部公房の、当たり前の日常を安易に受け入れることの危うさの感覚が更に加わる(できたらカフカを読むためにドイツ文学科に行きたのかったのだが、行けなくて正解だった)。

大学生からは丸山健二だった。自分の力では獲得できなくなった生きている実感を、他人の劇的な行動によって感動の同期を期待するものの結局は失敗に終わり、自分の生は自分自身でしか充実させることができないといった「ワンパターン」の思想に溺れた。

それ以降、飯のタネとして「文学」を読む年月が永らく過ぎた。
そこでの読み方は決して「文学」ではなく、「小説的」文章の読解でしかなかった。

文学研究を齧ったものならば当たり前のことを、簡便に「法則化」として書かれている書籍を買い集め、自分の「読解力」の自信を深めていた日々を思い出すほど苦々しい。
そんなことで「文学」部出身でございと低い鼻を高く見せていた。

テクストに書かれていることが全てであるといった金科玉条に縛られて、「何が書かれているか」かが重大な関心事だった。
ようやく「どう表現されているか」に目を向けるようになったのは、堀江敏幸の登場以降である。

そのくらい堀江の文章の衝撃は凄まじかった。それまでなんの気もなくただ好きで読んでいた吉行淳之介や小島信夫、庄野潤三といった第三の新人の新鮮さを今更になって気づいたくらいだった。

残念ながら現在の日本の小説家でノーベル文学賞に値するのは村上春樹ではない。
(同じように、大江健三郎のノーベル文学賞も怪しい。三島由紀夫はどうかと思うが、安部公房の受賞に異論を挟む人はいないだろう。しかし大江の作品に世界的かつ普遍的価値を見いだせる読書人はどれだけ存在するのか。大江の作品は内容・表現ともに日本の文学の到達点として相応しいとはぼくは全然思っていない。…初期の作品群は実に好みだった。全集も繰り返し読んでいる…と、いっても世界的文学賞には値しないが。

閑話休題

悲しいかな、北海道の街は懐が深いのでいつでもぼくを受け入れてくれるのだが、ぼくが「異邦人」感覚を捨てきれない。東京とはもう決別したはずなのに、札幌に居住する期間のほうが永いのに、故郷意識をもつことが未だにできない。4年間しかいなかった釧路には深い郷愁を感じているのに。

標準語のような東京弁と北海道弁のピジン語を話すぼくは、日本人であること・日本語を使うこと以外、これといったアイデンティティを持つことができずに漂うとなく生きている。「何をして生きるか」に自縄され、「どう生きるか」の境地には辿り着けていない。

第70回さっぽろ雪まつり

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メンタルクリニックに定期通院の日。昨年度半ばから激動の日常生活を送っているが、脳みそを極力使わないのでなんとか生きている。しかし、このクリニックで処方してくれる薬をきちんと服用することが前提。時間や量が乱れると、途端に体調が崩れて寝たきりになってしまう。快復には数日が必要。

クリニックは札幌の大通公園に面している。この大通公園で開催されている「雪まつり」に一人ではあるが軽く見物に行った。

なんだか出店を含めて物販のプレハブばかりが立ち並んでいる。去年もこんなものだったか?まるで北海道の食がテーマのオータムフェスタのようだ。空腹を刺激するあたたかい薫りが氷点下の空気に漂う。
雪像もアニメ(?)のキャラクターが多い。以前はもっと手の込んだ雪の建築物が多かった印象がある。

時間がないので、さぁーっと足早にひと回り、要所要所でスマホ撮り。我乍ら、咄嗟のスマホ撮りが上手くなったものだ。習うより慣れろとはまさにこのこと。

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雪ミクのコーナーは長蛇の列。昔、並ばないで入れたのは時間帯のおかげだったか。興味があったが、時間がないし並ぶのも嫌いなのでパス。

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何時ものように「北方領土返還要求」に記名して、大通公園をあとにした。「雪まつり」は、一人でサッサと眺めるだけではつまらない。感想を述べ合ったり、出店の珍しい食べ物をシェアする連れが必要だ。

そういえば、今年はまだ雪ミク電車を見ていない。これには一人だけでも乗ってみたい。オタッキーな札幌市民として、未経験では戴けない。
自動車で帰る途中の国道で、薄紅鮮やかなミクの痛車が隣の車線を走り抜けた。ナンバーまでは確認できなかったが、その熱心さに羨望する。

帰宅途中に妻の入院する病院に立ち寄る。具合悪そうに寝ていた。まだ熱が38℃と高いそうだ。必要なものだけ渡して立ち去る。明日は少し話ができればと願う。

こたろうがんばれ

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妻と一緒になるとき、お互いに「連子」がいました。私にはゴールデンレトリバーのナナ、妻にはパピヨンのフーちゃんとチワワのこたろう。

ナナとフーちゃんが虹の橋を渡ってしまい、その寂しさを埋めるかのようにダックスフンド、ペキニーズ、ポメラニアンが家にやってきました。

こたろうは今年で15歳の最古参の老犬です。寂しがり屋の甘えん坊のくせに構われ嫌いで、みんなのいるところで寝てばかり。若いときは闘士だったので威厳を感じさせるのでしょう。場の雰囲気が読めなかったぶすけ君以外とは争いごとはありませんでした。

 年も押し迫った頃、ぶすけ君が虹の橋を突然渡ってしまってから、こたろうに変化が現れました。張り合いがいなくなったせいか、急激に元気がなくなってしまったのです。

心配してペットクリニックに連れて行くと、腎臓がかなり弱っていて、年を越すのも危ぶまれるとの診断がでました。それから毎日のように点滴を打ちにいったおかげで年を跨げましたが、次いで妻が大動脈解離A型で入院してしまいました。私だけでは妻とワンコと家事と仕事に配慮することができないので、こたろうは好意に甘えてペットクリニックに預かってもらいました。

しかしそもそもが高齢なので、やがて膵炎も起こしてしまいました。せめて妻が退院するまでは頑張ってほしいと願っています。

随分と昔のことです。

ナナは普段からノーリードだった(仔犬のときから訓練をみっちりしました)ので、庭先だからと仔犬だったこたろうをリードを付けずに家から出したことがありました。これが甘かった。

こたろうは私との距離を測りながら先へ先へと敷地から走って行ってしまいました。かといって、私が後退りしても戻ってきませんでした。
休日のとても早い時刻でしたが、家の近くには国道が走っていて、トラックが恐ろしいスピードで駆け抜けていきます。

うっかりサンダルなんぞを履いていた私は、国道沿いの坂道の途中で転倒して、掌の皮をベロリと剥いてしまいました。四苦八苦、私は血だらけになりましたが、やっとのことでこたろうを捕獲して事なきを得ました。爾来、こたろうにはかならずリードが繋がれることとなりました。

ワンコは成犬になると、あまり外見が変わらない(全体的に白っぽくなりますが)ので、改めて年齢を数えると愕然とします。

老犬こたろうは、もう私を転倒させることはできません。
部屋の中を元気に走り回っているペキニーズやポメラニアンも、私の定年時には老犬です。

光陰矢の如し。
今この一瞬を愉しむことが生きることの意味なのだと、今更ながらに時間を無為に過ごすことや、「お楽しみ」を後回しすることの愚かしさに焦燥感を覚えます。

うつ病は残酷です。

THRU TRAFFIC / 東北新幹線

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土曜日は、鬱が酷かったがメンタルクリニックに通院する日だった。割れるように痛む頭を抱えて、奥さんの運転する自動車でなんとかクリニックに辿り着いた。

いつものように2週間の症状を話すも、話がどうにも纏まりにくい。脳みそが働いていない証拠だ。

結論は、ロキソニンでは腰痛は治まるものの頭痛には効果がないことから、抗てんかん薬を飲むことになった。
この日、札幌は凍えていた。身体が冷え切ったのであろう、家に帰ると風邪のだるさをなんとなく覚えたので慌てて風邪薬も飲んで布団に潜った。

果たして薬が効いたのか、翌日はいくぶん楽になった。この連休中に片付けたいことが二つ三つある。窓の外は晴れ渡る青空と昨晩積もった白雪で、部屋の中が眩しいくらいに明るい。そんななかで作業をしながら聴いたCDは、東北新幹線の「THRU TRAFFIC 」。

このCDは隠れ名盤と誉れ高いものだ。メロディ・アレンジ・サウンド、そして歌声にプレイと、どこを切り取っても爽やかさで満ちている。難を言えば、あまりにも爽やかで喉越しが良すぎるところだ。口中に広がる甘味や苦味がなく、そのためキャッチーな中毒性はない。

しかしそこがいい。鉛色が払拭されて久しぶりに澄み渡った青空に、完璧なほど似つかわしい。
グラスの重さと薄さとのバランスと、グラスとの冷え具合が調和した冷たい水を飲み干すときの快感に近いものがある。
雑味のないことの旨さは確かに存在する。

このCDをかけると、次に聞くCDの選択に困る。
どれもが自己主張が強く、若しくは楽器が鳴っているだけだったりする。

悩むぐらいならとリプレイしてしまう。
これも中毒性の一つなのかもしれない。

Mellow / 宮崎美子

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いろいろな意味で危機が迫っています。  

うちの奥さんは地震雲を見て取れる能力があるのですが(かなりの的中率を誇ります)、先日の道南の地震に続き、関東地方に近々大きなものが起こるようです。 

老犬チワワんこは毎日点滴をしています。本当に命を削って生きています。死ぬときぐらいは美味しいものを毎日食べさせようとしていますが、ここにきて結構な偏食ぶりを発揮しています。食べたそうな目つきで足元に寄ってくるので、あれこれと差し出すのですが、ふんふんと匂いを嗅いでぷいっと横を向いてしまいます。お気に召さなかった「美味しいもの」は、お溢れを虎視眈々と狙っているペキニーズとポメラニアンとに無用の闘いにならぬよう注意深く分け与えています(ダックスもお溢れには興味があるのですが、私を嫌っているので呼んでも来ません)。 

私は酷い頭痛と働かない思考能力とに苦しんで時間をただただ浪費しています。この正月はだいたい寝ているかお酒を飲んでいるか。オーディオを聴く気にもギターを弾く気にもなれないのは辛い。苦しいときに愉しいことをしてはいけない。脳みそが誤解する。  

ワンコの治療代や私の休養による減収で我が家の経済状況は厳しさを増していて、経済危機の警鐘が昨年半ばから鳴り止まない。

こんな状況にも関わらず、マッキンの修理代で15万円、Wadiaは12万万円が必要になっています。修理代ですからローンは無理。耳を揃えて現金を用意しなければなりません。これもお金がないからとぐずぐずしていたら、限りある技術者が引退してしまう危険性があります。

仕方がないので、緩和政策の一つとして30年以上続けていた怪獣フィギュアのコレクションも売却し始めました。怪獣文化を支援する力は、私にはもうない(フィギュアに日々積もりゆく埃による健康被害の問題も大きい)。 

ぐずぐずしていたら何もかも失ってしまう。本当に大切な物事を見極めて、大切な物事を守る行動を取らなければ…。

 閑話休題 

私の高校時代、美術部内でのアイドルは原田知世でしたが、本当は私は宮崎美子さんが好きでした。実際に妹がいたせいでしょうか、美子さんのようなしっかりとした「お姉さん」が好きでした。

当時連載されていた「めぞん一刻」の響子さんは、私には宮崎美子さんがイメージでした(後年「めぞん一刻」が映画化されたとき、「朱美さん」に美子さんがキャスティングされたのには驚いた。さらに「響子さん」は石原真理子だったり、更に後年のテレビ化では「朱美さん」が高橋由美子であったりと、原作への理解と愛情が感じられないキャスティングへの見識を疑ったものだった)。
後年のNHKの銀河テレビ小説「やどかりは夢を見る」で下宿屋を仕切る美子さんは、まさに理想の「響子さん」だった。もう一度フィルムを見たいものです。

 美子さんはバブル当時の女優さんらしくアルバムを数枚出していて、デビュー作の「Mellow」を私は愛聴しています。 
下手ではないのですが表現力が乏しくて、収録されている曲がほぼ同じに聞こえてしまうのはご愛嬌。その中で、坂本龍一の曲はとても個性的なアレンジで耳に残ります。  
しかし私としては歌の巧さヘタさを超えて「宮崎美子さん」が一所懸命歌っているといった事実が重要であり、愛聴し続ける価値を保ち続けているのです。  

後年、結婚・離婚をされたり、改名してみたり、クイズや漢字の女王になってみたりとテレビ界での活躍を眩く見つめるものの、所謂平凡な幸福とは言えない彼女の人生を複雑な気持ちで見守っています。
 
父親から早稲田大学への進学を了承されなかったので地元の熊本大学法学部を卒業した美子さんはきっとこう答えるだろう「いいじゃない、今が幸せならば」。 

迫りくる危機を迎えるにあたって必要なのは、あれこれと杞憂をして立ち止まるのではなくて、前に進んで「今の幸せ」を強く実感することだと、美子さんの一所懸命な歌声を聴きながら思っています。

何度でも新しく生まれる / MONDO GROSSO

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今年も押し迫りました。

今年は心身共に綱渡りで取り組んでいた業務のまとめの年度でしたが、上司の現場への無理解な発言と強要から精神的に瓦解してしまい、思考力の喪失による長期休養および業務からの離脱、それ故の職務への無気力化と酷い体調不良とで散々の年でした。 

長期休養をしたので、うつ病であることを隠す必要もなくなりました。業務はやりたいこと・やらなければならないことではなくて、できることしかやれなくなりました。昨年度の半人前以下の仕事量です。

仕事ができない分、神様へのご奉仕とわんことの触れ合いとが増えました。
毎朝、神棚に神饌を捧げて祝詞を欠かさずに奏上しています。
わんこは、ぶすけ君が虹の向こうに突然渡り、老犬チワワんこが余命を削って生きています。今元気なワンコたちも、私の定年時には生きていないことに気づいて改めてショックを受けています。だからこそ鈍い犬でも分かるようなあからさまな愛情表現をして「今」その時を可愛がっています。

スピリチュアル的にはどこか成長した年だと信じたい。そんな一年でした。

明日は大晦日。家族宴会の日です。本州とは異なり、北海道では大晦日はお寿司とご馳走(うちでは霜降りのすき焼き)を食べる日です(え?年越しそばはいつ食べるの?)。奥さんの実家で酔っぱらってきます。

と、言うわけで(?)今年最後に聴いたCD。

MONDO GROSSO の「何度でも新しく生まれる」。

音楽そのものに久々に感動したCDです。
ある日、ラジオからUAの「春はトワに目覚める」が流れて、おおっと耳を奪われました。恥ずかしながらMONDO GROSSOもUAにも興味がなかったのですが、この日以来MONDO GROSSOをyoutubeで張っていたところ「ラビリンス」 のMV・PVですよ。
もう完璧に耽溺してしまいました。こんなにも美しい曲は今日ような日にこそ聴きたい。

世の中には、幸福にさせてくれる合法的な「クスリ」がまだまだ満ち溢れています。

大金を払って安易に逃げるのは簡単です。しかし至福への扉は密かにそして健全に開けられています。その扉を探そう。

そう思いながらも今日も酒を飲んで耐えられない頭痛から逃避しています。

鍵盤の思い出

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幼稚園のときにオルガンを習わされていました。
オルガンといっても、ジミー・スミスが弾くようなオルガンではありません。さすがに足踏み式ではありませんでしたが、嫌な音だなぁと子供ながらに感じる電動オルガンでした。

電源を入れると不快なモーター音が唸り出し、鍵盤を押せば陰気な音がひり出てきました。足踏みオルガンのほうが素朴な音色で好感がもてました。
 
課題曲も単調が故につまらない。弾いていて全然楽しくありません。あまりに苦痛だったので、母親に懇願して1年でやめました。

後年、妹がピアノを習うというので、アップライトピアノが家に入りました。アップライトとはいえピアノの音は美しかった。単音をピストルショットで弾いても、和音をポーンと叩いても楽しかった。

簡単にアレンジされたジャズの譜面を自分で購入し、リチャード・クレイダーマンを練習する妹のあとで、「いつか王子様が」と「バードランドの子守唄」に挑みました。

しかし碌に勉強もしないでレコードばかり聞き、ヘタクソなギターを弾いてのうえですから、母親から「うるさいからやめろ」と叱られる始末です。

私もヘタクソなピアノは騒音(東京の狭い家の中ですから、隣室のテレビの音までも掻き消してしまいます)だと自覚していたので、気兼ねして鍵盤とは徐々に疎遠になりました。

結局、キーボードとは復縁もなく現在に至ります。

そのときの反動なのでしょうか。大して弾けやしないのに、ギターとギターアンプは購入と放出とを繰り返しています。防音室の中では誰かに気兼ねする必要がありません。自分が満足するまで「騒音」を立てることができます。これが実に気持ちが良い。

気がつくと、ギターとオーディオには財布の紐がついつい緩くなってしまうのです。

(イラスト・ポップさんからイラストをお借りしました。)
https://illpop.com/png_musichtm/keyboard_a15.htm

Dr.Buzzard's Original Savannah Band


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先日来、ホームページの改修作業をしています。

リンク先を確認して変更があれば張り直したり、テキストと写真とのバランスやレイアウトも再考したりしています。自分の過去の記憶と記録でもあるので、発言内容や表現は極力変えませんが、明らかに舌足らずな点や誤りには直しを入れています。

やり始めると時間の経つのも忘れて、活動限界時間までついつい作業をしてしまいます。

この2年半程、告知を中心とした週刊の通信紙を業務で書き続けていました。しかし今年の夏の初め、ある出来事がきっかけで思考力を突然失ってしまい、コミュニケーションのことばも碌に発話できないほど精神が損傷を受けて瓦解してしまいました。

幸い寝込むことはなかったのですが、何も考えられず、何も話せずの木偶坊です。全く仕事にならないので長い休養をとりました。ふた月ほど業務と無縁の生活を送ることで、最低限の作業ができる位には回復することができました。

今でも激しい頭痛のせいで以前どおりには思考力が働かないのですが、リハビリの意味合いも兼ねてホームページの改訂作業をし、楽天の「みんなのレビュー」とブログとで文章を綴っています。他人との会話はまだ難しいのですが、文章ならば意味はなんとか通じるようです。

閑話休題

おそらくは、今井裕の「Far away 熱い風」や、大空はるみの「はるみのムーンライトセレナーデ」を作るうえで大きなヒントになったと思われる Dr. Buzzard's Original Savannah Band のCDです。
ビッグバンドのブラスとストリングスに彩られたトロピカルなディスコと評するのが適切なのでしょうか。聴いていて自然と気分が楽しくなるサウンドです。今井裕も大空はるみも大好きな私の感性に直撃です。素晴らしい!不勉強で最近まで知らなかったのですが、ひょんなことからCDを入手することができました。

これは1stアルバムで、2ndアルバムは日本では紙ジャケット仕様でのみ発売されたようですね。
amazonの日本のサイトではレヴューが少ないのですが、アメリカのサイトでは熱烈な賛辞で埋め尽くされています。CDの音質についてもかなり辛口で、読んでいるとアナログレコードで是非とも聴いてみたい思いに駆られます。

どうやらベスト盤がマストアイテムのようなので、近いうちに入手します。新品の購入が難しそうなので、時間がかかりますが直輸入を検討しています。そのとき改めてレヴューする予定です。

Amazon その後

昨日書き込みましたAmazonのことですが、今日、メールにて回答がありました。

要するに、無料体験期間中に登録をキャンセルしないと本登録になってしまうとのこと。しかしプライム特典を一度も利用していない場合は年会費を全額返金するとのことです。

さっそくキャンセルしました。

今回は良かったものの、せめてお知らせメールは欲しかったですね(^^;
貧乏な話ですが、年間費4,000円は痛いです。
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