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先日、定期的に通院している心療内科のドクターが急逝されたと電話連絡が来た。
大動脈解離とのことだ。

5年もの永きあいだ診察していただいた。症状が良好なときは月に一回だったが、この一年は特に酷かったので二週間に一回であった。一回の時間が10分程度であれ、月に二回、顔を合わせて近況を話していた人が亡くなったことに強烈なショックを受けている。

ドクターは症状の経過を実に良く覚えていて、薬の選択も適切であった。病状を戦況に見立てて、薬による「戦略」を打って出ている感じがしたものだ。ベネフィットがない新しい薬も積極的に処方する一方、漢方薬も出してくれた。これが実に効果的で、10年以上も苦しんでいた梅核気が寛解した。

アタマもカラダも全然動かせなくなったときは離職を真剣に考えた。職場は3ヶ月以上の休職にさせて代替の人員確保を画策したようだが、ドクターのおかげで2ヶ月で職場復帰できた。ドクターの「戦略」が適切だったのだ。

いつも笑顔で包容力の溢れる人柄だったが、診察室から激昂した声を待合室で聞くこともあった。患者さんに阿ることなく、自身の診療方針を毅然と貫く人だった。

ドクターはスピリチュアルに関心が強く、クリニックにはその手合のグッズがところどころに鎮座していた。私も妻もそちらの関心が高いので、抵抗感はまるでなかった。

ネットでの評判は今ひとつであったが、医学者然としていないドクターと「氣」の合わない人が腹立ち紛れに書いたものだと思っている。おそらく即効性を求めて来院した患者さんは、ドクターのクスリだけに頼らない診療が気に入らなかったのだろう

精神は突然病むものではない。永い時間蝕まれて発症するものだ。寛解するためには同じくらい永い時間が必須である。しかも欠損したマイナスの状態をゼロにするには、実り豊かなプラスの充足感が必要だ。

ドクターはプラスの時間をどれだけ過ごせたかを毎回訊いてきた。患者さんが気がつかないように、こっそり邪気祓いの柏手や氣の注入を行っていた。

私はプラスの時間が未だ足りないようで、これからも精神科に通う必要がある。「もう定期的に来る必要はないよ」とドクターから言われたかった。

「大動脈解離で即死だったのは良かったのかもしれない。別の病気でだんだん痩せ細って、元気が無くなっていく先生を見るのは、それはそれでとても辛いと思う。いつも元気だった先生は幸せだっただろうし、みんなの心の中にも元気なままで生き続けているに違いない」と、大動脈解離から奇跡の生還をした妻が言っていた。

私もそう思うようにしている。
吉田先生、今までありがとうございました。何度も救われました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。